「澤田酵素」誕生の物語

「澤田酵素の物語」

天保元年-澤田酒造創業

天保元年(1830年)、初代・澤田定四郎が奈良盆地の西端、二上山山麓の現在の地(奈良・五位堂)で商いを始めました。それが澤田酒造の始まりとされています。

明治22年(1889年)、3代・澤田定十郎により酒造業を本格化。自家の用地で収穫される良質の米と、健康の霊水として誉れ高い金剛山系の伏流水を用いて、清酒発祥の地・奈良における高級酒としての地位を確立しました。

東に大神神社、西に二上山を臨む五位堂の地で澤田酒造は創業した
東に大神神社、西に二上山を臨む五位堂の地で澤田酒造は創業した


過酷な作業に従事する蔵人たち

酒蔵での寒造り・・・。
冬の冷気と冷水を利用した伝統的な仕込みの方法で、その過酷さは、"宵に摺る 夜中に甑 朝の洗い場の水つらさ"という蔵人たちによって歌われた酒造り唄が残されていることからも、うかがい知ることができます
。 夜を徹して行われる仕込みの一方で、仕込みを終えたタンクでは昼夜を問わず醪がフツフツと醗酵し続けるのです。生きた酵母を相手に、蔵人たちの睡眠時間もままならない過酷な作業が続きます。
凍てつくような冬の寒さと24時間体制での重労働、長期間におよぶ共同生活による精神的な過労などが重なり、強者揃いの蔵人たちといえども、さすがに体調を崩す者も少なくなかったようです。蔵人たちの身体的、また精神的な疲労が蓄積されるにつれ、蔵からは活気が失われ、時には蔵人同士のいさかいが起こることもありました。

すべてを人力に頼っていた当時の酒造りは、非常に過酷な作業であった
すべてを人力に頼っていた当時の酒造りは、非常に過酷な作業であった


蔵人の健康を守るために

この様子を蔵の片隅から静かに見守る人物がいました。
4代目当主で醸造学者でもあった澤田定司でした。定司は、良い酒を造るためには3つの要素が必要だと考えていました。1つは、良質な原料、つまり米と水です。2つ目はそれらを醸す高い技術と経験。3つ目は定司が最も重視したとされる酒を造る環境です。環境とは、気候などの自然環境のみならず、酒蔵の雰囲気、つまり蔵人たちが心身ともに健康であり、活力に溢れ、和気あいあいと酒造りに取り組むことができる環境を意味しました。
酒は酵母という生き物を使って造るもの。作り手の心身の健康状態が良好であれば、酵母もそれを感じ取り、良い酒を醸してくれる。このことを定司はこれまでの経験から身をもって知っていたのです。加えて、定司が蔵人の健康にこだわった理由として、定司の弟2人が医師であったこと、それも大いに関係があったと思われます。
「蔵人の健康を守るよい方法はないか・・・?」
醸造学者でもあった定司が着目したのは醗酵食品の力でした。定司は身近で手に入る野菜を醗酵させ、醗酵液を造ることを発案します。そもそも日本酒は米を酵母で醗酵させて造る酒であり、蔵の中には、長年、酒造りを担ってきたいわば血統書付きの良質な酵母(蔵付酵母菌)が生息していました。もちろん、造り酒屋である澤田酒造には杜氏という醗酵に関する豊富な知識と経験、高い技術をもった専門家がいます。つまり、醗酵食品をつくる上で奇跡とも言えるような恵まれた環境がそこにあったのです。

現在の澤田酵素の原形となる発酵液を考案した4代目当主・澤田定司
現在の澤田酵素の原形となる発酵液を考案した4代目当主・澤田定司

酒蔵には、長年の酒造りを経て蔵付き酵母菌が棲みついている
酒蔵には、長年の酒造りを経て蔵付き酵母菌が棲みついている


酒蔵伝承の知恵が生んだ健康食品

昭和10年(1935年)、定司の醸造学者としての知識と蔵人への深い思いやり、そして杜氏の長年積み重ねてきた経験と技術の粋を集め、ついに「澤田酵素」の原型となる醗酵液が完成しました。
醗酵液の完成後、最初は、得体の知れない液体にいぶかしげな表情であった蔵人たち。しかし、恐る恐る口にすると、芳醇な果実のような味わいに、思わず「うまい!」という声があがります。健康食品といえども、旨さにこだわる。蔵人が毎日飲むものだから美味しくなくてはならないという定司の気遣い、そして酒の旨さを追求し続けてきた杜氏の意地が醸し出した味わいでした。
ほどなく、蔵人たちは健康を取り戻し、蔵にも活気ある蔵人たちの声が飛び交うようになりました。周辺の村人たちからは、「澤田の蔵からは病人がでない」「澤田の蔵では万病に効く薬を作っている」と噂になるほどで、「体調が悪いので秘薬を分けてくれないか」と蔵を訪れる者も多かったといいます。しかし、それは薬ではなく定司が造った醗酵液。もちろん西洋医学で使われるような薬の副作用の心配もありません。

澤田定司が発酵液の仕込みに使っていた大甕
澤田定司が発酵液の仕込みに使っていた大甕


その後、5代・澤田定子は、声楽家として、また宝塚音楽学校で教授として活躍する一方、時の杜氏・井口千松と共にさらなる酒質の向上に尽力します。
昭和40年(1965年)国際自然医学会の森下敬一医学博士が酒蔵を視察された際、定司の造った醗酵液をご覧になられ、是非この醗酵液が作られた環境とノウハウを使って「酵素」を製造、商品化してはどうかと提案されます。当初、定子はこれを、「先代が蔵人の健康のために造ったもので、販売目的で造ったものではありません」と言って辞退。しかし、博士の熱意に心を動かされた定子は、世の中のために貢献ができるのならばと商品化を決断。昭和43年(1968年)、森下博士のご指導のもと、澤田酒造の酵素商品(植物醗酵エキス)が誕生しました。

お茶の水クリニック院長、国際自然医学会会長 森下敬一博士
お茶の水クリニック院長、国際自然医学会会長 森下敬一博士


澤田定司の蔵人の健康を願う思いやりから生まれた「澤田酵素」。
現在、その理念は、「澤田酵素」を飲んでいただくお客様の健康を願う気持ちとして今もなお受け継がれているのです。